2017年06月19日

うさんくさいセレブ美魔女

あるSNSで美魔女のブログを見た。
50代。
顔や、全身、パーティ・シーンなど、写真をどんどんアップ。
他のSNSに開設している、自分のブログや会社をPRするのが目的とみられる。

彼女が、美魔女会(コミュ)を立ち上げたとか。
年収1億以上で、単なるお金持ちではなく、メディアでも取り上げられたことがあるのが条件だそうだ。

写真にアップされているように、帝国ホテルでのパーティとか、いろいろ、セレブや有名人が集うとか。

読めば読むほど、うさん臭い。
叶姉妹のミニ版か。

年収1億の業種は明かされていない。
夫が年収1億以上だとしても、なんか・・・どうも・・・本人の稼ぐ収入ではないわけで、
そんな条件を出されて、のこのこ参加する人も、ちょっとどうかと・・・。

自分より20~30才は若いBFを持つ友人マダムが多いとか。
友人のエピソードとして、
エーゲ海産のイケメンモデルとの、クラブなどでの熱い日々なども日記にアップしているが、
ますます、叶姉妹っぽい。

もうすぐ還暦にもなろうというのに、よほど、肉体と気が若いのだろう。
仮にあれが、ほんとうの話だったとしても(そうとう、眉唾ものであるが)、
羨ましいかというと、ぜんぜん、羨ましくもなんともない。

わたしの歩んでいる道とは、全然違うし、憧れもしない、
そんな日記をどんどん読み進めるのは、なぜか? 
偶然に近い、ちょっとした、きっかけがあって、読んだのだが、
いったい、どこまで行くのだろうという、興味本位。

美魔女で、お金持ちで、政財界の人に親戚縁者がいて、都心で遊び回り、・・・商売もし、・・・
デビ夫人っぽいイメージもある。

思いつくまま、業界職種を適当にあげてみると・・・
ハリウッドスター、プロ野球選手の家族会、ファッション・美容会社オーナー、ねずみ講トップ、ギャンブル系オーナー、美術・宝飾関連オーナー・・・
チャリテイ関係では、質素で実質的、実践家的な雰囲気を醸し出しているので、
自分の身ばかりをかまい、自分大好きギンギラ美魔女はあまり出てこないと思うし。
実業界では、美魔女ばかりが集うことはなく、男性社会の中に、少数派で女性が混じる程度だと想像するし、
ギンギン美魔女系は、パーティではコンパニオン系になってしまいそうだ。

が、どこが、わたしの「憧れではない」琴線に触れたかというと・・・。
ほんとうに、そういう人々は、自分の顔を出して、ブログにアップしない。
政財界の縁者とやらに、迷惑がかかるようなことは、しない。
顔を出すのは、売名行為で、商売に利用しようとする人だけだろうと思う。

虚栄、かさ上げ、イメージ作り、といった、実質ではない、ほんとうの中身で勝負するのではなく、
いかに、うわべを良く見せるか、で勝負しているように感じる。
あたかも、素晴らしいと想像させる、想像以上のものを想像させるが、
実は、見かけがマックスで、実態を明確にしたら、なんだ、そんなものかと、がっかりする可能性がある。
中身より、見かけのほうが良いので、見かけ以上のものは中身には期待できない。
というか、見かけと中身が同じなら、とても素晴らしいが、
見かけに全力をかけているので、必然的に中身は見かけより落ちる。


勝手に良いイメージをどんどん膨らませて、「スゴイ人々と、ごいっしょしている自分が、スゴイ!」と思い込む人がいる。

実際にセレブ生活っぽいものが好きなマダムたちはいる。
わたしは、ぷ~んと臭うおカネのニオイが嫌いで、参加しない。
ファッションにしても、身につける装身具にしても、経済力がないと纏えないようなものばかり。
安っぽい服で参加したら、しら~とした目で見られそうだ。
ちょっと、ふふん、と鼻で笑われ、軽い軽蔑の目。
あの人、場違いね、と。
自分が好きで着ている服、格好が、場にそぐわないとわかりきっていて、あえてそんな格好をするのは、明らかに快適ではない。
いくら信念をもってユニクロの服で参加しても、信念よりも不快感のほうが強いので、ユニクロでは行かないだろうけれど。
(ラフな格好で参加すると、格式ある集まりなどでは、TPOを考慮しないと、ある程度の年齢になるとイタイ)
というか、ユニクロであろうがなかろうが、そんな場は、窮屈である。

無理して、合わせようとすると、見栄を張り、背伸び生活になる。
余裕しゃくしゃくだったとしても、ライバル心とか、きっとあるだろう。
湯水のように使うのは、自分の稼いだお金なのか? どうやって、稼いだ?
いったい、どういう職種?
それとも、棚ボタ式、親からの相続?はたまた贈与?
(自分で苦労して稼いで手にした金でなければ、お湯と同じ)

派閥みたいなものも出来たり。
そもそも、グループで群れるのは嫌いなわたしなので、セレブであろうが、ママ友であろうが、
集団行動は避けたい。

目一杯の現状を、すべて表に表す、あっぷあっぷのお付き合いは、わたしは、しない。

まあ、それは、セレブとは関係ないだろうけれど。
見かけや、行動にお金を、これでもか、とかけるのが、嫌い。
同じお金をかけるなら、人に見えないところでかけたい。
そして、人に見せるためではなく、自分のために、時間、労力、おカネをかけたい。

さらっと上質なオーガニック・コットンを着るとか、
デザインも、装飾性よりも、快適性や機能美を追及するとか、
宝飾品など、ごてごてせず、シンプルなほうがいい。
毛皮なんか、とんでもない。動物愛護精神に反する。
「美魔女」美よりも、健康美、こころの美しさが輝く美。

「政財界の親戚、知り合いがいる」と、自分の口から明かすようでは、
それこそ、信用ならない。
それで信用させられ、ろくでもないことに、利用させられたらかなわない。

子供が立派になっていても、もう成人になって、自分の道を歩んでいる場合、
その立派な子供の親だからといって、必ずしも立派だとは限らない。
妄信してはいけない。
自分の目でちゃんと見て、信用できる人かどうか、判断しなければならない。


ということで、セレブも美魔女も、自分で声高らかに、それを公言している人は、
わたしのポリシーに反するから、NGなのである。
自分で発信している時点で、終わっている。  


Posted by forg  at 13:19Comments(0)

2017年06月09日

人気ブログを見て

わたしのブログ。

最近、「老い」一色。
偏りを感じる。

だってね、人生の一区切りなんですよ、わたし。
昔はもう死んでいる年齢。
子供を産み育てて、それでもう死ぬ年齢脫毛
ちょっと昆虫みたいなかんじか。

「死ぬ」と表現するから、なにやら物騒であり、おかしな雰囲気が漂うのだ。
「やり直す」「リセットする」と書くとよい?

しかし、ブログそのものをリセットしなけれは、延々やっている、この蝶ブログで、
いくら「リセット!」「リセット!」「リセット!」と叫んでも、無。

歴代、何人かの、このブログ村でコメントをいただいた方のことを思い出す。
単発の方もおられた。
何度かやり取りのあった方もおられた。
文章の達人もおられた。
アメリカで生活している気分を味わせていただだいた方もおられた。
実のお母さんと同居して、苦しんでいた方もおられた。
ブログ記事内で、セッションする新手の楽しみ方も知った股票 佣金
最近では、お若い方が励ましてくださる。

ブロガーさんの方々の中には、その時その時の自分のブログは、使い捨て、ぽい。
トカゲの尻尾きりのごとく切り捨て、全く違うブログ名になって、また再スタートされていることだろう。
感情を吐き捨てたら、それでお役目ごめん。
気ぐるみを脱ぎ捨てて、新しい自分になり、また、脱ぎ捨てる。
自分を再生させるためのツールとして利用、活用するのは悪くないはず。
所詮、匿名。


新しいブログがどんどん増えている。
ブログ村のランにキングは最近、えらく様変わりしている。
停滞しているよりは、いいんじゃないかと思う。

ちなみに、ブログ村は、書く人たちの同好会なんじゃないかと思っている。
なので、読者といっても、皆さん、書く方が多いのだろうと想像する。
同人誌みたいなものである。

いつまでも、いつまでも、同じ顔、同じ装い、では、進化も変化もなにもない。
老舗や百貨店でも売り場をリニューアルする。
それに比べて、蝶ブログ、
まったくリニューアルもグランドオープンもしないで、かといって、感性を日々、磨き、研いでいるわけでもなし。

「変わらない老舗の安心・信頼の味」なんてのならまだしも、
ころころ変わることもある、蝶ごころ。
「変わり映えしない」というのと、「変わらない」とは違う癌症保健食品
「変わらない」と「普遍」とは違う。

いったい、どっちやねん!
と自己ツッコミ。

今朝は、意味の無い独り言をいってみた。

タイトルは、「人気ブログを見て」とした。
「人気ブログを読んで」ではないところが、ちょっとした意味がある。  


Posted by forg  at 12:36Comments(0)

2017年05月23日

師は走るが、馬は走らない

押し迫ってくる年末に負けて追い越されそうだ。
ぐずぐずしていると、新年明け。
時は待ってくれない。

なぜ、わたしはこんなにグズで、優柔不断なのだろう。
人の役には立っていないが、迷惑をかけることだけは避けたい楊海成

わたしなどこの世に居ないほうが、迷惑をかけなくて、いいのではないかしら、と思うと、また涙が流れる。
またまた鬱?

世の中の人々は、いろんな人がいる。
以前はどうも思わず図太くgoing my wayだったが、どうも老化現象なのか、痛く傷つくようになった。

鈍感力の反対だ。
今までの鈍感力が、麻酔切れか。
ピリピリするのであれば、気も回り、気遣いできれば良いのだが、そこは鈍感なまんま。

益々、殻に閉じこもる傾向にある。

これぞ、典型的な孤独な引きこもり?
孤独を愛していたのではないのか?
孤独はまあマシとしても、人から離れたい。引きこもりたい楊海成


と電車内で入力している途中に、夫の実家がらみの電話が、入った。
車内なので、蚊の鳴くような小さなボソボソ声で、わたしは答えた。

「今、向かっている途中です」

電話の、向こうでは
「あ、そうですか。着いたら電話してください。
お宅に、お伺いしますので」
と、待ち構えている様子。

やっぱり、私、スタートが遅過ぎのようで、しびれを切らされた。
こんな用事でもなければ、わたしは完全に引きこもり老人になっている。
しかし、用事は死ぬまで続くのだろう。
解放されるには、母たちのように、自立出来ない状態にならなければ無理。

用事や義務に振り回されるか、引きこもり老人になるか、はたまた自立できない老人になるか、どれがよい?

どの道にしよう、と、うだうだ悩んでいるうちが華。
ある程度のところまで行くと、本人の選択肢がなくなるのだから楊海成

遅刻気味の年越し準備。
姑より1歳年下の元気モリモリの、おばあさんにお尻を叩かれて、馬(わたし)は走る。

もともと馬車馬なのか、働かない馬車馬なのか、
走れない競走馬なのか、走らない競走馬なのか。
食用として馬刺しにされても、美味しくないと思われる。

家を出る時は、自宅周辺ではなんとなく年の瀬、迎春支度も仕上げ前のような、ぴんとした緊張した空気が漂っていた。
わたしは自宅の玄関には、夫の実家で年末年始を過ごすために持ち運ぶ荷物を山のように並べ、周囲の活気ある家並みからするりと抜け出し、ひとり、先に電車で向かった。  


Posted by forg  at 12:08Comments(0)

2017年05月10日

何とかならないか? 人騒がせな「一匹」

四字熟語には、かなり言い得て妙というものがある。
たとえば、「隔靴掻痒(かっかそうよう)」なる言葉がある。
これは、足が痒(かゆ)くなって、靴の上から掻くと、
本当の痒いところにズバリ当たらず、かゆみがおさまらない、というところから、
はがゆくもどかしいことの意味に使われるAmway安利

また、「多岐亡羊(たきぼうよう)」なる四字熟語がある。
これは「コトの本筋を見失うのは愚かなことだ」という意味に使われる。
この熟語には故事があり、その故事を紹介すると、
「それは一匹の逃げた羊にはじまる。
この逃げた一匹の羊に対して、一家総出で捜索を始める。
というのは、こちら方面に逃げると、道は幾枝に分れ、
そこからさらに進んでいくと、また道が分かれていく。
一本の道に一人配すると、瞬く間に4人5人の人員が必要になる。
さらに羊が逃げると、分かれ道に分かれ道ができて、
さらに人手が必要になるという話から来ている。
それだったら、最初から羊が逃げないようにしていれば、
こんなにも、人の手を煩わせる必要などないのに」というところが結論Amway安利

最近の話題は、アメリカ空母が北の国に向かって進んでいるという話や
韓国に設置されるTHAAD の話。
早朝の都心メトロで電車が止まった話。
様々な話題があるが、それらは一人の物騒な男から出発している話。
ミサイルを飛ばしたり核実験するぞ!と言ったり、
様々な道に逃げ込んだ羊のように煩わしいことで手を焼かせている。
まさに、「多岐亡羊」状態になっている。
だけどもこれらの問題は、つまるところ、コトの本筋は一つ。
「変な野望をもった一匹が行なっていること」
これに手を焼いているのは、アメリカ、中国、ロシアに日本。

北の国を取り巻く大国たちは、
様々に対応していると豪語する割には、
この一匹の羊を捕り逃しているようにしか見えないAmway呃人

これらの動きを見る限り「隔靴掻痒」というところ...
  


Posted by forg  at 13:31Comments(0)

2016年07月16日

「少年の名はジルベール」

ジルベールとは竹宮惠子の代表作の一つである「風と木の詩」の主人公の名前です。

この本を読むと、その頃夢中になって読んでいたいろいろな漫画たちへの愛情と想い出が同時に蘇ってきましたAmway傳銷

同時にその当時にはかなりのセンセーショナルだった「風と木の詩」が生み出されるまでの、作者の葛藤と戦いの背景が分かり感慨の深いものがありました。

リアルで読んでいたので、この物語が生み出されたいった過程の話などは少々知っていました。と言うのも、竹宮惠子が掲載紙の中の近況のような所で、夢に見た話を友人に朝まで話したと言うことを語っていたからです。その夢の中の少年を主人公にした短編も予告編のように書いていましたしね。

でもその頃の世の常識では、かなりの問題作で編集部が首を縦に簡単には振らなかったのも無理はないのかなと思いましたAmway傳銷

それと同時にちょうど同じ頃山岸凉子が描いていた「グリーンカーネーション」はどうだったんだろうかとも想いを馳せてしまいました。またプラトニックの秘められた想いであっても、サスペンスに繋がっていく大島弓子の「つぐみの森」に対しては編集さんはどのような反応をしたのだろうかと思いました。

道開く者は大変なんだなと思います。そしてあの頃の私たちは、新しい道が拓いていく目撃者でもあったのですよね。



とにかくその頃から、少女漫画は少年愛のオンパレードで描かなかった人はいないんじゃないかなと思うほどでしたよねAmway安利



長い時代のスランプと、「風と木の詩」を世に送り出そうとする努力、読みごたえがありました。

だけども読んでいて、私が竹宮惠子を知り、私の漫画との付き合いに対して大きな意味を持っていた「空が好き」のその続編を描いていた時、あまり満足のいくものが描けなかったと言うような記述があって、そう言えばあの続編にはがっかりしたなと言うような事まで思い出してしまったのでした。

だけどそれはそんな気持ちの中で描かれていた事なんだとか、あの漫画もこんな気持ちでの中で描かれていたものなんだとか、いろいろな場面が自分の気持ちと重なって非常に面白かったです。



あの頃、なんでだか萩尾望都はちゃんちゃんこを着ているようなイメージがあったのだけれど(たぶん自画像の影響)、竹宮惠子はドレスを着ているようなイメージ。それも雑誌の記事の影響です。顔をさらす機会も多く、ご自分の容姿に自信があるんだなと高校生の私は思っていました。だけどそれはサイン会などでドレスで参加せよと言ったプロデューサー的な立場の増山と言う友人の力が大きかったのだと分かりました。



現在、竹宮惠子は何をしているかと言うと????

京都精華大学の学長?????!

そうだったんだ !



しかし、大きな長いスランプに苦しんだ人であればこその今の立場ではないだろうかと私は思いました。力を認められてそのポジションに着いたのだとは思いますが、大きな負の経験こそが教育の現場では役に立つのですから。



そしてこの本の見どころと言うか読みどころと言う一つの点は、萩尾望都との交流と別れかも知れません。



「24年組」「大泉サロン」、意外かもしれませんが、そんな言葉を私はつい最近知りました。

あの頃、私には全く関係がなかったし興味もありませんでした。

ただ彼女たちの描く素晴らしい漫画にのめりこみ、その世界観に浸れることが幸せだったのです。  


Posted by forg  at 13:57Comments(0)

2016年07月11日

可愛いんだよなぁ……

たまにはのろけでも。

恋愛でなくてもいい。
「私は大事にされている」という実感が、
「私は大切にされていた」という時間が、明日に繋がる。
反対に、無意識的にでも蔑ろにされ続けていると、どこかで破綻が生じて視界が曇ってくる活出生命

ウィズコレのいいところは、それぞれ全くやり方は違うけれど、
ギャルソン全員が人を大事にしようと、「今この瞬間だけは、何があってもあなたを守り抜く」と、
そういう気概でエスコートにあたっているところ。そうだよね?
私よりあなたのほうが遥かによく知っていそうだ。少なくともルールの枠に守られている範囲内ならば、みんな人ひとりぶんくらいの重みは背負えるよ。大丈夫。

それにしても、人を大切にするってなんなのだろう。
例えば恋愛感情一つとってみても、①「あの人のためになんだってしてあげたい」→②「なんだってしてあげてるのに振り向いてくれない」→③「私のためにもなにかしてよ」→④「私のために傷つけ」と、簡単に気持ちが変容していく方程式が存在するのが難しい。
曖昧で不確かな心を都度見定めて、相手がその時に一番望んでいるもの、身体の奥底から渇望している何かを察知するって至難の業。
特に、④で止まっている人ならばまだしも緩和しようもあるものの、

⑤全てを諦めて隷属する活出生命
というフェーズに入ってしまった人を見かけるとさすがに心配になる。考えに考え尽くした末の達観だとか、無我の境地とか、これが私の哲学ですとか、いっそ「私ってマゾなの罵って」と面と向かって宣言されたなら、喜色を浮かべて褒め殺しにもかかるけど。
もし、誰かに嫌われないために無理くり自分を押し殺しているのならば、問いかけたくなる。

君は今、幸せだよな?(一護さんボイスで)SEO網站優化

何か違和感を覚えているのなら、一度、そうだなやっぱ山でも登ってみるのが……いや。
きっと、そんなことは言われるまでもなく解ってるんだよね。  


Posted by forg  at 13:46Comments(0)

2016年06月27日

悲劇を繰り返さない為には、米軍撤退しかない

最近は高校野球の記事ぱかりだったのですが

報道ステーションで米兵および軍属とやらが関わった事件をやってました。

あまりに酷すぎるな?????。

いまだに敗戦国だってことと、欧米優位主義が根底にあるんだな保濕產品

かつての欧米列強の植民地統治も こんなもんなんだろう。



独立国家の根幹となる安全保障のほとんどを米国に依存してるような国が

主義主張だけを通せるほど国際社会は甘くはない肌膚彈性

日本人はいい加減に目を覚まさなきゃ。



トランプ氏が就任して、米国が安保条約を見直してくれれば千載一遇の好機。

自立したいのであれば、安全保障は自前でやるしかない。

その結果が徴兵制とか核武装になるならば、そこで現実と議論するしかないよ。



沖縄や米軍基地の周辺だけは、いまだに敗戦国のままじゃ 

国、民族のはプライドすらないのかよ。戦後70年も経ってるんだよな。

いつまでも米国がつくった憲法を有難がってるようじゃ どうかしてるよ個人化護膚

沖縄県が日本であり続けるには、国が体をはって守っていかなければ。

国ってのは政府じゃなくて国民全体ってこと。

米国からの防波堤じゃないんだよな。それじゃあ大戦末期の沖縄戦といっしょだよ。

東京だけが日本じゃなくて、国の辺境も日本なんだよな。  


Posted by forg  at 13:31Comments(0)

2016年06月14日

しあわせ脳への歩み

偉人たちは、すごい名句を遺している。
う~んと唸る???。

今、わたしは、まだ生きていると、なかなか美味しい干物にはなれなくて。


芸術ってなんだ?
わたしは、芸術を理解していない。
理解している自分に憧れるが、知識?教養の一部程度で留まっている。
入り口の告知板の前で、ポスターをじっと見つめる。
それ以上は、わからない瑪沙 閃肌水光槍

芸術の理解の仕方???そういう手引書みたいなのが、いっぱいある。世の中には。
わかりやすく明確にまとめると、義務教育の、音楽、美術の教科書に書いてあるような内容だ。
歴史?背景?人物?作品???実際にそのうちの代表的なものに接してみる。

そこで、やわらかい感性の学生は、鑑賞して衝撃を受けたりするのだが、
ああ、私は、寝ている。脳の休息時間。

5教科以外の副教科は、お休み時間瑪沙 去斑聚光槍
脳に刺さった苦痛が取れる時間。答えを迫られる苦悩からの開放時間。

今、思えば、これは究極の脳の悦びなんじゃないかと。
そう、こじつけてみる。

芸術に理屈はいらない???はず。
しかし、何年も必死で生涯を捧げて研究している人に、そんなことを言うと、
その人の人生そのものを否定しているかのようになってしまう。


芸術は、理解する側と、創る側に分かれる。
あと、理解しない無関係側瑪沙 射頻瘦面槍

喝采を浴びている芸術がまるでわからないと、けっ、と思ってしまう、わたし。
上手ではあるが、芸術との違いがわからない。

本人が死んだ後、評価される芸術家も多い。
時代より先に生まれてしまった人々だ。
時代は、微笑まなかった。
では、芸術を評価する人そのものって、何なんだ?


今日の記事、おそらく、10000%の人が興味ないだろう。
そして、「自称?芸術がわかっている人」ほど、うさんくさいものはない。

哲学&芸術???これって、「生活」と真逆の次元。
超?現実主義者であるわたしは、今晩のおかずを考えてしまうのである。
しかし、この「超」は、「とても&大変&非常に」という意味なのか、「スーパー&超越している」という意味なのか。

眠って死んだように静まり返って、脳を休めている時間が、わたしには究極の至福の時なのかも知れない。

あ、それなら、小学生の時からだ。
授業中、よく居眠りしてた???
とても幸せな小学生だったわけで、今日までそれが続いているってことだ。

このラインは生涯続くと思われるので、将来は、安らかに永遠の眠りにつけそうだ。  


Posted by forg  at 16:19Comments(0)

2016年04月19日

適当な暮らし




「丁寧に暮らす」というキーワードから、思い出したことがある。
 とても丁寧な暮らしぶりをブログに載せてらっしゃる方の、「食器を洗った後に使うカゴを思い切ってなくして、洗った食器はすぐに拭いて食器棚にしまうようにしました高膽固醇」という記事を読んだときに考えたことだ。「仕事もフルタイムで帰りも遅く忙しいけれど、食器を洗って布巾で拭いてしまうという丁寧な仕事を娘にも伝えていきたい」ということだった。スッキリしたキッチンや、一度拭いた食器を食卓にずらっと並べて少しの間乾かしている写真も、とても美しかった。素敵だ。脱帽だ。

 わたしはといえば、実家に居た頃からずっと食器乾燥機のお世話になっている。その乾燥機をなくしてしまえば、確かに作業スペースはぐんと広くなる。キッチンもかなりすっきりす更年期中醫調理るはずだし、洗った食器をすぐに布巾で拭いて食器棚に仕舞う自分を想像したら、なぜか割烹着を着けているイメージまで浮かんで、あら、なんだか素敵じゃない。

 いやいや。
 洗い物をするだけで充分に面倒くさいのに、すぐに拭くとなれば清潔な布巾が何枚も必要だ。その布巾を消毒して手洗いして(洗濯機を使うのには抵抗がある)日に干して完璧に乾かさなけれ暗瘡護理ばならないとなれば、結構時間もかかるだろう。しかも我が家の場合はシンクと食卓が離れているから、拭いた食器の一時置きに使えるスペースも少ない。そう考えたら、やっぱり乾燥機は便利で捨てがたい。

 それに、食器洗いに関して言うならば、割らないように洗って、充分にゆすいで、清潔に乾かして保管すればそれだけで「丁寧な仕事」なんじゃないのかなあ……時間をかけるのが丁寧ってことじゃないよなあ……要は、どこに重点を置くかの違いだよなあ……
 ……とかなんとか、丁寧な暮らしができそうにないわたしの脳は、必死に「今のままでいいのだ」という理由を考える。

 それどころか、省スペースの食洗機が欲しいのよ。  


Posted by forg  at 11:18Comments(0)